#46 俺たちはアニメ絵ジャケットとどう戦っていくのか

本業の外側にあるポッドキャストだからこそ生まれる出会いと、音楽を下位ジャンルへと押し下げるアニメ絵ジャケットの氾濫。鳥海修の游明朝は水のようにそこにある。中流幻想と米、ヒエと粟、地と図…。

福尾匠回の反響/質問してくれた人ですよね?/専門分野で出会うことはできない/ポッドキャストというあくまで二次的な場所の意味/もはや音楽聴いてなくていい/既存RAMファンが置いてけぼり?/説明と要約の型/置き配的から〈疎〉へ/哲学者をカウンセラーにしたくない/二次的なんだけど独立してる/俺らの作品の持ってる未知のパワー/ポリシーと理念の煮詰まり/東と南南東/アニメの下請け業・下位ジャンルとしての音楽/ドゥルーズの二重の盗み/勝手に持って帰ってきてる人/フィロショピーとふきみそ/くぬぎ屋のワンタンスープ/鳥海修のヒラギノ、游明朝/水とかお米みたいなフォントにしたい/スタインウェイとヤマハのピアノ/中流幻想と米/ヒエとアワの雑味/西洋における使いこなす/ヒエとかアワが米みたいな顔して立ってるのが好き/ポムポムプリンの態度/アイツら(人間椅子)/虫は虫/ZamboaとMurray Street/サーストン、話聞くぜ?/福尾さん、ありがとうございましたっ!/安島夕貴『時間』出ます/短冊ジャケットって全然短冊じゃない

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